【堀先生の部屋】東海丘陵要素について
樹木生態研究会最高顧問 堀大才
筆者は現在、岐阜県恵那市に住んでいるが、この地方は植物地理学的にとても興味深い植物群が分布しているので、それについて簡単に報告する。
岐阜県は海に面していない内陸県であるが、地域的には日本海岸気候的な冬季多雪の北部の飛騨高山地方と、太平洋岸気候的な冬季晴天の多い南部の美濃地方に大別できる。美濃地方はさらに、西から順に西濃圏域、岐阜圏域、中濃圏域、東濃圏域に分かれるが、恵那市は東濃地域に属する。美濃地方には三重県の一部、愛知県、長野県木曽地方の南部、静岡県西部の一部とともに、東海丘陵要素と呼ばれる特異な植物群が分布する。
東海丘陵要素とはなにか
植物地理学でいう東海丘陵要素とは、伊勢湾を囲む丘陵・低山地域の比較的湿潤な場所に生育する、この地域に固有な種、準固有な種、極めて遠い地域と隔離分布を示す種、この地域が分布の南限あるいは北限を示す種を指す。現時点で15種の植物が挙げられているが、そのうち樹木は以下の8種が認められている(五十音順)。
クロミノニシゴリ、シデコブシ、ナガボナツハゼ、ハナノキ、ヒトツバタゴ、フモトミズナラ、ヘビノボラズ、マメナシ。
岐阜のヒトツバタゴ自生地 photo岩谷
草本は以下の7種が認められている(五十音順)。
ウンヌケ、シラタマホシクサ、トウカイコモウセンゴケ、ナガバノイシモチソウ、ヒメミミカキグサ、ミカワシオガマ、ミカワバイケイソウ。
このほか、北方系植物であるヤチヤナギなどがこの地域を南限としており、準東海丘陵要素と言えるであろう。これらの中には国、県、市町村の天然記念物に指定されている個体、個体群、生育地もいくつかある。
地域的には静岡県西部(天竜川より西)、長野県南部の木曽地方と下伊那地方、愛知県(特に三河地方)、岐阜県南部の美濃地方(とくに中濃地方と東濃地方)、および三重県の一部が含まれ、伊勢湾を囲む丘陵や低山の概ね標高100~600mの範囲である。植生地理学的には照葉樹林帯(常緑広葉樹林帯)に相当するが、やや標高の高い山間地の多くはコナラやアベマキが優占する落葉広葉樹林となっている。伊勢湾を囲むように存在する丘陵地帯・山地帯には湧水地が多く存在し、その遊水地や谷筋などの湿ったやせた土壌の土地に、上述の植物群が特異的に自生している。
伊勢湾を囲む東海地方の丘陵地帯は気候的に特異ではなく、地形的にも地質的にも特異な存在ではないので、それらの植物群がなぜこの地域に集中的に分布するかについては不明な点が多いが、現在は以下のような要因が関わっていると考えられている。しかし、東海丘陵要素の植物の分布範囲は、後述する古代の東海湖の沿岸部よりもかなり離れた地域も含まれており、以下の説明だけでは不十分である。
・伊勢湾を中心とする東海地方には500万年前から120万年前までの間、東海湖と呼ばれる巨大な湖が存在していた。東海湖は最大で現在の琵琶湖の6倍の面積に達していたという。東海湖の中心は現在の伊勢湾の北部であった。その東海湖に流れ込む河川の土砂が湖岸や湖底に堆積し(最も大きな働きをしたのが旧木曽川水系と考えられる。当時の湖底の中心部は今でも海底である)、それが隆起して現在の東海丘陵地帯が形成されたとされている。東海湖の南部(渥美半島と三重県伊勢地方を結ぶライン)は逆に沈降して海水が流れ込み、現在の伊勢湾が形成された。よって、東海丘陵といわれるところの多くは昔の湖岸の堆積物で形成されている。
・東海湖の湖岸に堆積した土砂によって形成された東海丘陵地帯の表層地質は砂礫が多く貧栄養で、砂礫層の間に不透水層(粘土層)が挟まり、砂礫層に溜まった地下水が断層崖の部分で湧出し、ところどころに湿地が存在する。湧水の水質は溶存ミネラル成分が極めて少なく低温のため、その部分は周辺環境よりも冷涼な土壌環境となり、水はけがよく肥沃で温和な環境を好む植物が侵入しにくく、氷河時代の名残としていくつかの植物が生き残った。
・氷河期に低地に降りてきた植物が温暖化の際に、大部分の地域では温暖な気候を好む植物との競争に負けて絶滅したが、やせて過湿で他の植物が侵入しにくい湧水地周辺に生き残ったと考えられる。
・湧水湿地は普通、植物遺体の堆積により次第に高くなり乾燥化するために、個々の湿地の存続期間は短いが、東海丘陵地帯には極めてたくさんの湧水湿地があり、これらの湿地を渡り歩きながら現在まで生き残り、その間に独自の進化を遂げて他では見られない植生が誕生したと考えられている。
・フモトミズナラとシデコブシは氷河期に南下してきた寒冷地の植物が、温暖化とともに北上していく時に、その一部が東海丘陵の湿地や沢沿いのいくらか湿っていて地温の低い場所に適応しながら変化して生き残ったと考えられている。例えばミズナラ→フモトミズナラ、コブシ→シデコブシなどである。しかし、フモトミズナラはコナラの変種とする考えもあるので、寒冷乾燥に強いコナラの湿潤型とみなすこともできる。
・ハナノキとヒトツバタゴは、第三紀の暁新世から始新世に北半球に広く分布していた(周北極要素)が、その後の更なる寒冷化と乾燥化により大半の地域で絶滅した。しかし、一部が東海地方をレフュジア(refugia)として生き残った。レフュジアとは氷河期のような大半の植物が絶滅する環境下で、比較的気候の変化が少なく、局所的に種が生き残った場所を意味する言葉である。このような例で有名なのはメタセコイアの原産地である中国湖北省利川県の谷筋や川岸のような湿った場所である。
・マメナシは、日本列島がユーラシア大陸と地続きであったときに、日本列島にも分布を広げたが、日本列島が大陸と切り離された後、日本列島では東海地方にのみ生き残った。ユーラシア大陸東部には同じ種が分布している。
・ナガボナツハゼ、クロミノニシゴリ及びヘビノボラズについてははっきりしない。
・ヤチヤナギは東海丘陵要素植物には数えられていない。冷涼な環境を好む北方系の植物で、北海道から本州中部までの湿地に分布し、特に尾瀬沼の群落は有名であるが、温暖な三重県や愛知県の湿地帯を南限としており、準要素と言ってよいであろう。
・岐阜県東濃地方、長野県南部および静岡県西部は東海丘陵要素の植物群の分布地域に入るが、東海湖の湖岸から離れており、標高もかなり高い。しかし、丘陵地の地層中には粘土層をはさんでいることが多く、その粘土層の上に地下水が溜まり、斜面から流れ出ているところが多いので、東海湖岸に形成された砂層と粘土層からの湧水地群の続きと考えられる。因みに、伊勢湾周辺には多治見や瀬戸のように陶器の産地が多いが、東海湖の湖底に堆積した粘土が原料となっている。
・東海丘陵要素の植物群の中にはナガバノイシモチソウやヒメミミカキグサのような南方系のものもあり、これらについては上記のような説明は適用できない。
樹種の解説
東海丘陵要素と認められている植物について、以下に概説する。
・フモトミズナラ:ブナ科コナラ属の落葉喬木で、学名はQuercus serrata subsp. mongolicoides、シノニムはQ. crispula var. mongolicoidesおよびQ. mongolicaである。栃木県、群馬県、長野県、岐阜県、愛知県、三重県に分布するが、分布中心は東海地方である。長いことアジア大陸原産のモンゴリナラQ. mongolicaと同種と考えられてきたが、大場秀章がコナラQ. serrataの亜種とみなし、それに異議を唱えた芹沢俊介がミズナラQ. clispulaの変種とした。よって、分類学上の位置付けは未定である。葉はミズナラに似て殻斗果もミズナラに似るが、樹皮はコナラに似て硬い。因みに、ミズナラ自体が長いことモンゴリナラの変種とされてきたが、現在もミズナラをモンゴリナラの変種とみなす研究者は多い。本州中部以南ではミズナラは標高1000m以上で見られるが、フモトミズナラがこのように低い場所で生育している要因については分かっていない。ただし、コナラの湿潤型の亜種と考えれば不思議ではない。恵那市の丘陵地帯にある我が家の周囲の雑木林にも普通に見られる。
・ハナノキ(ハナカエデ):ムクロジ科カエデ属の落葉喬木で、学名はAcer pycnanthumである。長野県南部、岐阜県東南部、愛知県北東部に分布するが、長野県大町市に隔離分布があるらしい。分布中心は木曽川流域である。ユリノキとシナユリノキの関係とともに、ハナノキとアメリカハナノキの関係も、近縁種の遠距離隔離分布の例として有名である。ハナノキとアメリカハナノキは形態的によく似ている(変種とする説もある)が、ハナノキの葉が3裂であるのに対し、アメリカハナノキは3~5裂で鋸歯の先が尖る。また成木の樹皮のコルク層の割れが、ハナノキのほうが粗くアメリカハナノキは細かい。
・シデコブシ(ヒメコブシ):モクレン科モクレン属の落葉小喬木で、学名はMagnolia stellataである。岐阜県、三重県の一部及び愛知県の“東海丘陵”に限って分布する。東濃地域では連続的に分布するが、他の地域では隔離的である。東濃地域では連続的、といっても個々の群生地はとても小さく、メタ個体群を形成していると考えられている。メタ個体群とは、小さなパッチ上の個体群が、地域全体にたくさん存在し、ある個体群が消滅しても、生き残った個体群から種子の供給があって新たな個体群が生じ、地域全体としては存続していく現象をいう。恵那市でも渓流沿いのやや明るい雑木林に小規模な群落が点在している。
・ヒトツバタゴ:モクセイ科ヒトツバタゴ属の落葉喬木で、学名はChionanthus retususである。アジア大陸東部(中国、朝鮮半島)、台湾と対馬、東海地方(岐阜県東濃地方、愛知県)に分布する。環境省の絶滅危惧種Ⅱ類に指定され、天然記念物に指定されているものも多い。恵那市の山林の林縁部で時折見かける(5月の開花期は特に目立つ)が、自生か植栽されたものかは不明なことが多い。
・マメナシ(イヌナシ):バラ科ナシ属の落葉喬木で、学名はPyrus calleryanaである。
アジア大陸東部(中国、朝鮮半島、ベトナム)、台湾と日本の東海地方に隔離分布する。東海地方では、愛知県と三重県の低山・丘陵地に分布する(恵那市にはない)。果物のナシの原種は二ホンヤマナシ(P. pyrifolia var. pyrifolia)であり、本種ではない。
・ナガボナツハゼ:ツツジ科スノキ属の落葉灌木で、学名はVaccinium sieboldiiである。静岡県西部三方ヶ原台地から愛知県東南部の東三河南部、渥美半島までの狭い範囲の林内や林縁に稀に生育する。湿地植物ではない。ナツハゼ(V. oldhamii)との雑種もあり、純粋なものは少なく、愛知県や静岡県では絶滅危惧Ⅰ類に指定されている(恵那市にはない)。
・ヘビノボラズ:メギ科メギ属の落葉灌木で、学名はBerbelis sieboldiiである。本州(中部地方南部から近畿地方)と九州(宮崎県)に稀に分布する。貧栄養の明るい湿地に生育する。牧草地のやや水はけの悪い湿った場所に稀に見かける。
・クロミノニシゴリ(クロミノサワフタギ):ハイノキ科ハイノキ属の落葉喬木で、学名はSymplocos paniculataである。本州の中部以西(東海地方、近畿地方、中国地方)に稀に生育する。
・ヤチヤナギ:ヤマモモ科ヤチヤナギ属の雌雄異株の落葉小灌木で、学名はGale belgica var. tomentosa、シノニムはMyrica gale var. tomentosaである。北方系の湿原植物で、東シベリア、カラフト、北海道の泥炭湿地や本州の高地の湿原にある(尾瀬沼に多い)が、三重県や愛知県の丘陵地帯の湿生地をレフュジアとして生き残ったと考えられる。ヤチヤナギの根は放線菌の一種フランキア属と共生して根粒を形成し、痩せ地でも窒素を得ることができる。
草本の解説
・ウンヌケ(コカリヤス):イネ科ウンヌケ属の多年草である。学名はEulalia speciosaである。
・シラタマホシクサ:ホシクサ科ホシクサ属の一年草である。学名はEricaulon nudicuspeである。東海地方に固有である。
・トウカイコモウセンゴケ:モウセンゴケ科モウセンゴケ属の多年草で、湿地性食虫植物である。学名はDrosera tokaiensisである。モウセンゴケとコモウセンゴケの自然交配で生まれた種らしい。
・ナガバノイシモチソウ:モウセンゴケ科モウセンゴケ属の一年草で、湿地性食虫植物である。学名はDrosera indicaである。アフリカ東部、インド、東南アジア、オーストラリアに分布し、日本では茨木県、栃木県、千葉県、静岡県、愛知県、宮崎県で確認されている。ヒメミミカキグサと同様、ゴンドワナ大陸起源の熱帯、亜熱帯性植物が東海地方に生き残ったと考えられている。白花と赤花があり、白花は分布が広いが、赤花は別種で、愛知県のみに分布するとされている。
・ヒメミミカキグサ:タヌキモ科タヌキモ属の多年草である。学名はUtricularia minutissimaである。ゴンドワナ大陸(古生代から中生代にかけて存在した巨大大陸)に起源をもつ熱帯・亜熱帯性の植物が東海地方で生き残ったと考えられているが、なぜ熱帯・亜熱帯性の植物が東海地方に生き残ったのかは分かっていない。
・ミカワシオガマ:ハマウツボ科シオガマギク属の多年草である。学名はPedicularis resupinata var. microphyllaである。母種のシオガマギクから湿地に適応するように変化したと考えられている。愛知県、岐阜県の固有種である。
・ミカワバイケイソウ:シュロソウ科シュロソウ属の多年草である。学名はVeratrum stamineum var. micranthumである。寒冷地に多いコバイケイソウの変種とされている。
引用・参考文献
・植田邦彦(1989)東海丘陵要素の植物地理、植物地理・分類研究№40、日本植物分類学会
・植田邦彦(1989)東海丘陵要素の植物地理と保護、水草研究会報№37、水草研究会
・富田啓介(2018)湧水湿地の環境は東海地方においてどこまで理解されたか?、湿地研究Vol.8、日本湿地研究会
・富田啓介(2022)「東海丘陵要素」の広範な学術分野および社会への受容と普及、湿地研究Vol.12、日本湿地研究会
・牧野内猛(2001)東海層群の層序と東海湖体積盆地の時代的変遷、豊橋市自然史博物館研究報告、豊橋市自然史博物館
・山中高史・井上みずき・石田清(2009)ヤチヤナギから分離したフランキア属とヤチヤナギの根粒形成の多様性、日本森林学会大会データベース120(0)232-232、2009